埼玉新聞

 

さいたま初代市長・相川宗一さんお別れの会、関係者ら750人参列 県知事、浦和レッズ元社長ら献花

  • 約750人が参列した相川宗一初代さいたま市長のお別れの会=26日午前、さいたま市浦和区のロイヤルパインズホテル浦和

 さいたま市の合併に尽力して初代市長を務めた同市名誉市民で、今年1月に78歳で死去した相川宗一さんのお別れの会が26日、浦和区のホテルで開かれた。旧浦和市、さいたま市の関係者ら約750人が参列して故人をしのんだ。

 相川さんの略歴を紹介した後に全員で黙とう。発起人代表の清水勇人市長、大野元裕知事、友人の元秩父市長で元県議会議長の栗原稔さん、Jリーグ浦和レッズ元社長で日本サッカー協会元会長の犬飼基昭さんらが弔辞を読んだ。喪主の長男信司さんが遺族代表であいさつした後、参列者一人一人が祭壇に献花した。

 相川さんは1980年10月~91年4月まで県議3期、91年5月~2001年4月まで旧浦和市長を3期務めた。浦和、大宮、与野の旧3市合併に尽力し、01年5月に初代さいたま市長に就任。09年5月まで2期務め、同市発展の礎を築いた。11年11月にさいたま市名誉市民、12年11月に旭日中綬章を受章した。祖父の宗次郎さん、父親の曹司さんと3代続けての旧浦和市長。

 司会を務めたパーソナリティーの大野勢太郎さん(74)は、浦和レッズを通して親しくなり、「勢太郎、一緒に飲むか」とよく誘われたという。浦和駒場スタジアムの改修を決断して着工するなど、「私たち浦和サポーターの恩人。『レッズを核にして、さいたま市をスポーツのまちに』とよく話していた」と振り返り、リーグ3連勝と好調の浦和の試合を「見てほしかった」と話していた。

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