短歌部門準賞
ペンペン草
神谷安久子
橋ふたつ渡り妹に会いに行く二月の日差しわずかに温し
仰臥する妹に顔を近づければしずかに息をつなぐ音する
妹の手はほんのりとあたたかし今日はゆっくり爪切りてやる
吸い飲みより水を少しく飲みし後わずかに頷き表情見せる
風に揺れ立葵赤く咲いている見舞いて帰る川のほとりに
遺されし赤い水玉の手提げ袋うら地こまかく繕いてある
本を読む事を楽しみし妹の戒名に「読」の文字きざまれる
妹の骨壺ふかく納めしときにわかに卒塔婆の触れる音する
頬に指を触れれば虚ろに我にむきし妹のまなこ忘れられなく
下腹のしくしく痛み俯きて夜中しばらく治まるを待つ
検査室の白いベッドの冷たくて不安な思いに身をかがめいる
画像には腸の粘膜のひとところ剥がれて歪に白くうつれる
温かき粥のひと匙かわきたる口にゆっくり含みゆく朝
マスク外し女医はやさしく「治ったら生きる喜び湧いて来ますよ」
体調を気に掛けながら歩きゆくハンカチの木に白い花咲く
何事も無かったように土手に座りペンペン草に触れたりもして
大丈夫、大丈夫と思い歩きゆく畝こんもりと並ぶネギ坊主
のぼる朝日を眺めていると身の裡にしずかに湧いてくるものがある
色褪せても紫陽花の花なお散らずもう一度自分に賭けてみよう
前向きに生きよとの思い噛みしめる自転車押して坂のぼるとき
こころの聴心記
根岸敬矩
「もの忘れ外来」に診る老(らう)なればあはせる目線の位置を気づかふ
目をあはせこころとこころに向かひあひ老のゑがほの綻びを待つ
もの忘れ日々確実にすすめども逢へばほほゑみ忘れずかへす
けふもまた診察重ぬる老なれば目線あはせてただにまむかふ
手をさすり老のこころにそつと触れゑみ交はしあふ刹那のうれし
介護者の名前もいへぬ老なれどゑがほこぼして愛されてゐる
令和の代に老いの生き方うまき人好好ぢいぢ好好ばあば
好好ぢいぢ好好ばあばがいまどきを生き抜く老いのひとつの姿
ゑみ浮かべ誘ひを受けし百二歳ぬり絵が好きとクレヨン握る
百二歳下絵かきをへ色ぬりぬあかむらさきの秋冥菊のはな
百二歳に長寿の秘訣を問ひたれば瑞穂の国の神の加護てふ
けふもまた独り暮らしの寂しさをあれこれ喋る老女の脈診る
離れ棲む娘夫婦への愚痴こぼし老女の吐息おちつきもどす
寡居の身をしかと生きをる老女ゆゑうなづきて聴く身の上ばなし
二人の子育てる娘の生活を気づかひ老女独り生きをる
八十の妻を介護の老いし夫けふもつきそひ言葉かけ入る
妻を看る老々介護の八十五息精(いきせい)はつてしたたかに生く
連れそひて六十余年をともに生き老いの夫婦のつむぎし絆
老いてなお夫婦の愛の姿みる老々介護のふたりに遭ひて
心耳向け聴きとどめたる老い人の生きし証をカルテに記す