2024年正賞・準賞

埼玉文学賞とは

埼玉新聞社創刊25周年を記念して1969年に制定した「埼玉文学賞」は文学を志す人たちを長年にわたり支援してきました。今年で54回。毎年幅広い年代から作品を集め、県内外から注目される文学コンクールです。小説、詩、短歌、俳句の4部門。埼玉りそな銀行から特別協賛をいただいております。

第55回埼玉文学賞審査員

小説部門 須賀しのぶ 新津きよみ 三田完
詩部門 秋山公哉 木坂涼 田中美千代
短歌部門 沖ななも 田中愛子 内藤明
俳句部門 鎌倉佐弓 佐怒賀直美 山﨑十生

小説部門正賞

層を読む

葭谷隼人(30)=よしたに・はやと=草加市

 二〇〇九年十一月。
 星の見える夜だった。ぼくたちは焚き火を囲いながら、樹葉が夜風に揺られて擦れ合う音に耳を澄ませている。
 寒冷な秩父の山奥で、ぼくは本を手にとり、そこに書かれた文章を声に出す。
 漁師は老いていた。一人で小舟を操って、メキシコ湾流で漁をしていたが、すでに八十四日間、一匹もとれない日がつづいていた。
篝火にぼんやり照らされたページに並ぶ文字を読み上げる。久坂は目をつぶり、一文一文を咀嚼するように、ぼくの声に熱心に耳を傾けている。数ページ読み終えると、しおりを挟んで本を閉じる。静けさと肌寒さがぼくを不安にさせた。
「これを読み終えたら、ぼくたちに手を貸してくれるんですね」
「もちろんです。それが条件ですから」
 ため息を堪える。これは仕事だ。プロジェクトの成功にはこの男の協力が必要なのだ。

 ガラスに入る光が屈折するように、人生の進路は思わぬ障害があれば容易にズレるものだ。大学で電子工学を専攻したぼくは、志望していた機械メーカーの面接にはことごとく落とされ、業界大手のIT企業に拾われた。最初に配属された部署では、システムの保守・点検を担当し、そこで一からプログラミングを学んだ。予期せぬキャリアだったが、それでもめげずになんとか食らいつき、業界の花形ともいえる開発部に異動になったのは入社五年目のことだ。
 ところが、配属された開発部は「開発」とは名ばかりで、当時の技術では実現できずに頓挫した案件や、社会情勢や社内事情によってお蔵入りとなった案件を掘り起こし、再び商品として世に送り出すのがぼくらの役目だった。そんなぼくら開発部を社内の人間は尊敬と皮肉を込めて「考古学者」と呼んでいた。
 久坂の名前を知ったのは三週間前のこと。考古学者は目下、クラウド上でメッセージのやりとりができるアプリケーション「ピジョン」に着手していた。ぼくの担当業務は、使用されるプログラム言語のうち、すでにマイナー化した言語を含む部分を、現在の言語に書き換える作業だった。プロジェクト開始後、数週間は平穏に進捗していた。そんなある日、更新部分の確認作業を進めている最中、隣の席に座る上司が突然キーボードを乱暴に叩き始めた。
「ちくしょう! これじゃあ中身がわかんねえじゃねえか!」
 どうやら、システムの基部を構成するコードの一部が特殊な方法で記述されていたようだった。上司が声を荒げるのも当然だ。共同作業を前提にコードを書く企業のプログラマーは、記述する言語の種類やその表記方法について会社が設けたルールに従うことが多い。そのほうが他のプログラマーがコードの内容を理解しやすいからだ。しばらく画面と睨み合いながら、ループがどうとか、パスがどうとかぼやいている。上司は独り言のようにぼそりと「久坂さんに直接聞くしかねえか」と呟く。久坂という名前にはピンとくるものがあった。
 @author Akira Kusaka
 開発者が自身の名前をコードに記名する場合があるが、久坂の名前は開発メンバーの先頭に記されていた。つまりは、開発責任者だ。上司は煙草の箱を手に出て行ってしまう。ゴミ箱が勢いよく蹴飛ばされる音がオフィスに響いた。
 昼休み明けにオフィスに戻ってきた上司が、いつも通りのロジカルで無駄のない口調でぼくに下した指示は至ってシンプルだった。
「いいか、田上。ここのコードを書いたのは恐らく久坂さんだ。専門業者に投げてもいいが、今からコンペや要件定義をしている時間はない。このコードの解読は本人に直接聞くのがてっとり早く、そして確実だ」
 なんでも、久坂という男はパソコンが広く認知されていないIT黎明期から、キーボードに馴染んでいた古参社員で、社内でも随一の知識と技術を持ち合わせた腕利きのプログラマーだそうだ。時代の盛衰が激しく、日進月歩の発展をとげるIT業界において、現代の魔術師とも称されるプログラマーとして、現場第一線で活躍し続けることは並大抵のことではない。残念なことに、久坂は十年前にすでに退社していた。社外の人間の手を借りるのは品質管理上よろしくないと苦言を呈したが、上司は「久坂さんなら問題ない」と突っぱねた。その言葉の意味をぼくはすぐには呑み込めなかった。
 翌週の土曜日、ぼくはスタッドレスタイヤ付のレンタカーを借りて首都高経由で埼玉方面に向かった。秩父市内から山間の国道を通ると、窓外の新緑が一気に深まった。舗装道路を道なりに走って辿りついたのは秩父の山奥にあるキャンプ場だった。家族連れや団体客がテントを張っているところから二キロほど上流で車を停めると、そこからは徒歩で進んだ。深く積もった新雪は柔らかく、踏みしめるごとに小気味良く鳴った。林道が続くなだらかな坂を上っていく。どこかで獣の啼く声がする。
 公道から少し逸れた山道を登った先に、聞いていた通りのトタン屋根の小屋があった。小屋の前には焚火をした跡が残されていて、その前に和犬が寝そべっている。久坂は猟銃の銃身を磨いているところだった。ぼくが近づくと、犬が首を上げてこちらに一吠えする。来客に気づいた男は猟銃から視線を上げた。
 久坂は縮れたひげを蓄え、やせた頬と伸びきったTシャツ姿は霞を食って生きる仙人のようだった。世俗には興味がないと言わんばかりの風采に、「久坂さんなら問題ない」といった上司の言葉の意味がわかった。折を見て話しかけると、久坂は銃を地面に置き、「客人とは珍しいですね」と言った。想像していたよりも落ち着きのある声だった。仕事を辞めて、秩父の山奥で暮らしていると聞いたとき、恐らく人嫌いなのだろうと勘繰ったが、予想に反して久坂はぼくを歓待してくれた。小屋の中は暖かく、饐えた匂いが充満していた。壁や床をおおう毛皮が断熱材の役割を果たしているらしい。ときおり入り込む木枯らしがむしろ心地良い。丸太を組んだテーブルの上に、湯気の立ったコーヒーが置かれる。川から汲んだ水で淹れたそうだ。独特のざらつきが舌に残ったが味はまずまずだった。
「こんな山奥まで何の用で」
 ぼくは持参したタブレットで問題のコード部分を見せながら、久坂が開発したシステムを基に「ピジョン」を開発していること、それがこのコードのせいで難航していることを伝えた。
「我々では解読の糸口がつかめないんです」
「申し訳ないですが、私はもうあの会社とは関係がありません」
「いつでも席は用意している、と上司からの伝言です」
「その席を辞したのは私自身ですよ。それにお金には頓着していません」
 断られるのは想定内だった。ぼくはあきらめずに説得を重ねる。
「『ピジョン』は責任をもって我々が完成させます。あなたたちが開発したシステムに手を加えれば、革新的なものが生まれるはずです。業界へのインパクトも計り知れない」
 「ピジョン」は、個人でアカウントを作り、そこに投稿することで世界中の人々にメッセージや写真・動画を発信できるサービスだ。似たようなサービスはすでに米国のテック企業を中心にすでにリリースされている。「ピジョン」の最大の特長はその拡散性にある。伝書鳩(ピジョン)は投稿された文章から類似するキーワードを自動的にカテゴライズし、似たような趣味や思想をもった人々をつなげる。それにより、友人同士のリアルな交流よりも、ネット上の交流を盛んにするだろう。近年台頭するスマートフォンなどを活用した新たなコミュニケーションになりうる可能性を秘めている。
 久坂はしばらく顎に手をあてて考える仕草をする。細面の痩せこけた顔のなかで、高く長い鼻梁だけが目立っている。充分に間をおいて、久坂が答える。
「いいでしょう。ただし、一つだけお願いがあります」
「なんですか」
 久坂は足元のリュックを探ると、テーブルの上に差し出した。
「田上さん。これを読むのを手伝ってくれませんか」
 それは、一冊の小説だった。装丁は手垢で年季が入っており、ページは濡れてよれができている。表紙にはヘミングウェイの「老人と海」とあった。
「どういうことですか」
「理由はわかりませんが、私はあるときから、小説というものが読めなくなりました。しかし、私の人生のバイブルと呼べるほど読み返したこの本を、もう一度味わってみたいんです」
 小説を読めない人間に出会ったのは初めてではないが、小説を読めなくなった人間というのは珍しい。識字能力を失ったわけではないらしい。その証拠に、新聞や論文なら問題なく読める。山道の標識や歩道の注意書きも問題はない。コードも読める。ただ、小説や詩となると、脳が拒絶反応を起こす。理屈は本人にも不明だが、どうやら切実な願いのようだった。ぼくは聞く姿勢になった。
「手伝う、といっても具体的にはどうすればいいんでしょうか」
「私のためにこの本を音読してほしいんです。音で聞いたものなら少しは理解できます。ですが、自分の声ではうまくいかない。あいにく、身の回りに頼める人もいないのです」
「そんなに不便なら、どうして普通の生活に戻らないんですか」
「人にはそれぞれ事情というものがあるんですよ」
 ぼくは考えた。プロジェクトの完成のためにあの複雑なコードを読み解く手間と労力を考えると、この本を朗読するくらい造作もないことだ。事情は理解しがたいが、悪くない提案だった。
「分かりました。ぼくにやらせてください」
 ぼくの返事を聞いて、久坂は嬉しそうに目尻にしわを寄せた。

 一週間に一度、ぼくは久坂のもとを訪れた。平日はオフィスに出社し、休日になると車を走らせて、奥秩父に向かう。人気のない森の小屋で、久坂は毎日決まったリズムで暮らしていた。朝日が昇る前に目を覚まし、日が暮れると小屋の前で焚火をする。火が燃やすものを失うと小屋に戻り寝床につく。日の出ているうちは食料となる木の実拾いや狩猟、トタン屋根の補強などの実務的なこともすれば、河原の石に腰かけてぼんやりと空を眺めたり、所在なさげに山道を散歩したりする。久坂はまた自然に造形が深かった。プログラマーの中にはむしろアナログ的な生活や素朴な精神性を好む者も多いが、久坂の場合はそこに哲学があった。
「「老人と海」ほど、あなたに似合わない本はないですね。だって、そうでしょう。あなたはまだ老人でもないし、ここは日本の山奥だ」
 ぼくがそういうと、久坂は「それはどうでしょうか」と頬を緩めた。
「埼玉には海があったんですよ。はるか昔のことですが」
 久坂によると、太古の時代、今の埼玉県秩父市がある場所には「古秩父海」と呼ばれる海が拡がっていたという。久坂は河原の対岸にある露頭を指さした。地表面が露出し、赤茶色や黒色がミルフィーユ状に重なる土の層が見える。
「風雨にさらされて削り取られた大地の屑が、川に流されてやがて数千年前の月日をかけて積み重なり、あの層は作られました。地層はどれくらいの早さでできるか、田上さんは知っていますか」
「考えたこともありません」
「一年に一センチ。たった一センチの途方もない自然の営みの上に、私たちは立っています。まるで本のページを破いて、テーブルに置く。それを毎日繰り返していくと、やがて一冊の文庫本になるように」
「なるほど」
「それにいつかは海が臨める場所にも住んでみたい。あらゆるものを隔てて孤立させる山と、遮るもののない茫洋な海。人の子に父と母がいるように、山と海のいずれが欠けても自然を知っているとは言えないですから」
 彼のシャープな言葉選びには、敏腕プログラマーの名残ともいえる怜悧さが垣間見える。
「もうプログラミングとは縁を切ったんですか」
「必要に迫られなければ自分からはやりません。電子機器類も捨てました」
「どうしてですか」
「論理の外に出たい、といえばいいのでしょうか」
 久坂は言葉を慎重に選んでいるようにゆっくり話した。
「コードは一つの意味しかもたない。その記号の並びが少しでもずれたら、もう意味を成さなくなるか、別の意味に代わる。制約は論理的ですが、同時に不寛容です。昔はその論理こそが美しいと思っていました。だけど、自然の中にいるとそんな単一の意味しかもたない不寛容さが罪に思えてくるんです」
 久坂は仕事を辞めて、この地に移り住んで以降、妻と息子二人とは別々に暮らしている。プログラマーとしての輝かしいキャリアや家族を捨てて、秩父の森で自給自足の暮らしをする男。ぼくは久坂に純粋な興味をもった。ある日突然これまでの生活を放棄し、自然を求めて移住したり、バンやトラックで各地を放浪しつつ、気長に人生を楽しむ連中は一定数いる。だが、久坂はもう還暦に近い年齢だ。秩父に移り住むまでの間に、何か大きな転機があったのだろうか。その答えは意外なところからもたらされた。
「久坂さんって、人殺しなんだよ」
 恵比寿のバーで知人の鈴村がいった。
「俺がまだあの会社にいたとき、たまたま上司が話してたよ。久坂という開発部のエース社員が、部下になった社員を理不尽にこき使って、自殺に追い込んだって」
 ぼくは耳を疑った。鈴村の話しぶりは淀みなく、でまかせを言っているようには思えない。鈴村は同じ年に当社に入社した同期だった。友人とは言えないが、何かと縁のある男で、ごくたまに顔を合わせる仲だ。他の部署にも顔が利くタイプで、同期の中で社内の事情通として重宝されていたが、何を考えているか分からないところもあった。営業部での仕事も順調だったが、あるとき「自分探しの旅に出る」といって辞表を出すと、それ以降は職を転々としているらしい。今は動画サイトのチャンネルを運営し、その広告収入で暮らしているそうだ。
「その話、もう少し聞かせてくれないか」
 追加で注文したモヒートを待つ間、鈴村は煙草を片手に話を続けた。
 自殺した二十代の社員はプログラマーとして他所で実績を上げて、鳴り物入りのキャリア採用で入社してきた。自殺した際に遺書などはなく、例のシステムの開発が原因だったとは断言できなかったが、開発は多忙を極めたことは事実だ。上司である久坂の管理責任を問う声は社内でも大きかった。実力もあり、将来を嘱望されている若手社員に、古参である久坂が嫉妬をしたという根も葉もない噂もあった。真偽のほどは定かではないが、久坂が声を荒げる場面を実際に目撃した社員もいたという。開発が滞るにつれ、次第にその社員への態度を厳しくし、精神的に追い込んだというのが鈴村の話だった。
「そんなの、れっきとした犯罪だろ」
「本当のところは誰にも分からないさ。まあ、俺も経験あるから分かるけど、理不尽にこき使われるのはつらいからな。それにあの業界は人の使い潰しなんか珍しいことじゃない」
 鈴村の言う通り、IT業界は生き馬の目を抜く世界だ。だが、久坂とは数回会っただけとはいえ、彼が部下を無碍にするような人間にも思えない。
 鈴村は「殺されないように気をつけな」と言って、灰皿で煙草をもみ消した。
「そんなパワハラ野郎は罰を受けるべきだ」
「本当にやっていたら、の話だろ」
 ぼくの擁護に耳を貸さず、鈴村は嫌悪を示した。
「会社の方からクビにするべきだったと思う」
部下を失った後、久坂は定年を待たずに自主退職した。そのことが噂に真実味をもたせた。開発が中断された理由も頷ける。開発チームに死人が出て、開発の指揮官が辞めたのではプロジェクトはもはや立ち行かなかっただろう。そのことがきっかけで久坂は家族や友人とも疎遠になった。以降の足取りは一部限られた同僚や数人の親友のみが知るところだった。久坂はこの十年間、何を思って過ごしてきたのだろう。
 ぼくと鈴村の前にモヒートが置かれた。秩父の夜に一度でも慣れた目では、バーの店内は明るすぎた。
「でも、その久坂さんが、秩父の山奥で仙人生活とはねえ」
「変わり者だけど、悪い人じゃない気がするんだよな」
「好きにはなれないけど、変わり者は大歓迎だ。今度うちのチャンネルとコラボしてみてえなあ」
 鈴村の声にぼくはほろ酔い気味の状態で「いいんじゃない」と適当に返した。
 店を出ると、都会の埃っぽい風が頬を冷やした。思わずマフラーに顔をうずめる。片側三車線の道路を走る車は川を遡上する魚のようで、雑居ビルには多彩なネオンや電飾が光の地層を成している。「ピジョン」のリリース予定日まで一年を切っていた。

 枯葉を踏む音が緊張感を走らせる。久坂は数メートル先の木陰で腰を低くし、猟銃を構えている。無線から「そっちいったぞ」と声がすると、久坂は足を交差させるようにゆっくりと横に身体を動かす。照準は目の前の斜面を捉えたままだ。ぼくが一歩踏み出そうとしたとき、久坂が後ろ手に制した。その場でじっとしていろ、という合図だ。やがて、むっと獣の匂いが強くなり、繁茂する熊笹をかき分ける音とともに、一頭の若い鹿が斜面を駆けてきた。飛び跳ねるような軽快なステップで、久坂の射程圏内に飛び込んでくる。その瞬間を久坂は逃さなかった。
 ドンという衝撃とともに猟銃が火を噴いた。
 鹿がその場で倒れる。すべてが一瞬の出来事だった。久坂が猟銃を収めると同時に、慌てて息を吸い込んだ。そこでようやく、無意識に呼吸を止めていたことに気づく。命のやりとりを見たのはこれが初めてだった。
 猟師組の仲間たちは鹿の死体にロープを結わえ付けると、軽トラまで引きずっていく。荷台に乗せると、そのまま近くの沢まで運ぶ。鹿は身動き一つせず、からだを硬直させたままだ。沢に着くと男たちは総出で鹿を降ろし、冬の冷えた水に浸した。
「よしやるぞ」
 猟師の一人が鉈を手にし、勢いよく鹿の腹を裂いた。寒空の下、流れる沢水が赤く染まる。猟師たちは各々鉈を手に、鹿を解体し始めた。取り出された内臓は部位ごとに分類されると一部は捨てられて、残りは沢の水で洗われてプラスチックケースに入れられた。空になった鹿の腹からはまだ暖かい湯気が立っている。久坂の手捌きは手慣れていた。久坂が猟師免許を取ったのは二年前、山奥で生きていくための術として身に付けたという。この鹿も久坂に出会うまでは生きていて秩父の野山を駆け回っていたのだ。
「やってみますか」という久坂の誘いを丁重に断って、寒空の下、ぼくは彼らの生業をただ観察していた。鹿はいくつかのパーツにぶつ切りにされ、軽トラの荷台に積まれる。白いトラックの車体は所々に鮮血が散っている。自然の中で生きることの意味を知るには、この光景を見るだけで十分だった。久坂は黙々と鉈を動かしていた。その目は普段の穏やかさを失い、真剣な色を帯びていた。まるでそういう態度でいることが殺した鹿への弔いであるかのような眼差しだった。この男が部下を死に追いやったのか。追いやることができたのか。真剣に鹿を殺すことのできる人間は、気まぐれに人を殺すのだろうか。
 その晩は鹿肉鍋だった。焚火に鍋をかけて、十分に煮立ったところで猟師仲間からもらった味噌を溶かした。ぼくらの隣で犬が余った内臓にかぶりついている。恐る恐る鹿肉を噛むと、甘く弾力のある風味が舌の上で広がった。
 
 ある日、ぼくらは下流に向かった。小屋から二キロほどの距離にある川沿いの開けた場所に、ロッジが数棟並ぶキャンプ場があった。オフシーズンのため、キャンプ客はほとんどいない。
「何をするんですか」
「ついてくれば分かります」
 ロッジのなかで一際背の高い一棟があった。このキャンプ場の管理棟だろう。久坂がドアをノックすると、男が顔を出した。鋭く小ぶりな輪郭に似合わず、がたいのいい中年男性だった。
「おう、待ってたよ」
 篠原と名乗った男はこのキャンプ場のオーナーだった。篠原は玄関先に置かれた麻袋を横目に見て、「まだ準備がかかるから、先に、例のやつ頼むよ」と言った。
 ぼくらはロッジの二階に上がった。内装は現代風に改装したのだろう。ベニヤの壁が清潔感のある家だった。一室に通されると、篠原は部屋の隅にあるパソコンを指さした。
「かなりガタがきているが、これ使ってくれよ」
 久坂は篠原にいくつか確認をとると、さっそくパソコンを立ち上げた。キャンプ場のWebサイトを開き、流れるような指先でキーボードを叩き始めた。その指の動きはさながら一流のピアニストの運指のように複層的なリズムを奏でている。長年高度なシステム開発の最前線にいた久坂であれば、使用言語こそ違えど、Webサイトをいじるくらいは朝飯前なのだろう。
 しばらくして、久坂が顔を上げてぼくに訊ねる。
「たしか田上さんはCSSが書けると言っていましたね」
「すこしは触ったことがあります」
「手伝ってもらえますか」
 久坂の指示通り、ぼくはコードを読む。ぼくらが日々使う言語と同じように、プログラミング言語にも流行り廃れがある。久坂が知るWebサイトの知識は最新の情報にアップデートされていなかった。ぼくはここを、こうしてと身振り手振りを交えて説明する。久坂は頷きながらつまりこうですねと、すんなり理解すると、パソコンに向き合ってすぐに形にしてしまう。久坂が慣れないコードで遠回りな記述をしたときは、ぼくが口頭で修正を加える。
「田上さんは筋がいいですね。教え方もうまい」
 久坂に褒められるのは素直に嬉しかった。慣れない褒め言葉に浮かれたせいか、ずっと気になっていたことが口をついて出る。
「久坂さんはどうしてプログラマーになろうと思ったんですか」
 久坂は作業の手を止めずに答える。
「子供の頃はパイロットになりたかったんですが、生まれつき視力が悪かったんです。だから、仕方なく航空機のエンジニアをやっていて、気がつけば機体の制御システムにのめり込んでいました」
「ぼくも大学では電子工学の専攻で、卒業論文も航空機の制御装置に関してです」
 久坂も航空機が好きだったとは意外だった。お互い共通点が見つかったことで自然と会話が弾んだ。好きな戦闘機や機体の駆動エンジン、空気力学の話にまで話題が広がる。専門的な興味が重なったことで久坂に親近感を覚えた。
「田上さん。今の仕事は楽しいですか?」
「楽しい、とは胸を張って言えません。ただ、このプロジェクトは絶対に成功させたいと思っています」
「あまり無理をしないでください」
「ご心配は無用です。大丈夫ですから」
 久坂さんはふとキーボードから指を離した。
「どうしましたか」 
 久坂はぼくに視線を向ける。その目はどこか悲しげな色を帯びている。ぼくの方を見ているようで、どこかもっと遠くの方を見ているようだ。はっと我に返ったようになって、久坂はパソコンの画面に向き直ると呟いた。
「大丈夫です、と三谷くんもそう言いました」
 @author Yukiya Mitani
 コメントアウトされて、開発者にしか見えないソースコード。そこに刻まれたデジタルの署名。三谷とは久坂が死に追いやったかつての部下だった。
「田上さんももう聞いているでしょう。私の開発が止まってしまった理由を」
 隠すつもりはない。ぼくは正直に頷く。
「――本当に、久坂さんのせいなんですか」
「当時のことは今でも夢に見ることがあります」
 久坂は手を止めると、窓の外を見つめた。山の斜面が西日で染まり、結露のついた窓が印象画のようにぼんやりとした輪郭で彩られている。
「たしかに、仕事は厳しかった。結果を出すために厳しく接したときも確かにあった。彼が休日もなく働き詰めになったとき、私は彼に少し休むように言いました。しかし、彼は歩みを止めなかった。進捗が滞るにつれ、開発チーム内の空気も険悪になっていき、全てがうまく回らなくなってきました。三谷くんは優秀で、希望にあふれた若者だった。何事にも熱心で、才能もあった。今思えば、それが仇になったのかもしれません」
 革新的なサービスを世に送り出す一大プロジェクトだっただけに、当然会社の期待も大きかった。開発チームへの圧力は相当なものだっただろう。その開発チームの一人として、なまじ実績も能力もある三谷が、プロジェクトの遅延に責任を感じる気持ちはぼくにも痛いほどわかる。今似たような立場にいるぼくには、三谷のことが他人事には思えなかった。
「上層部が決めた開発スケジュールは常軌を逸していた。私も与えられたスケジュールの異常さに指摘することをしなかった。ただ、三谷くんはその期待に応えるかのように、さらに仕事に拍車をかけた。それがさらに悪循環を招いたんです」
「これは推測ですが、例のコードを書いたのは、三谷さんではないですか」
 ずっと疑問に思っていたことだった。久坂ほどの腕があれば、シンプルなコードで複雑な構築が可能なはずだ。同業者が読めないような複雑すぎるコードを書くのは、初学者か、あるいは過度に自分の能力に自惚れている人間の仕事だ。
 久坂は頷いた。
「彼は優秀でしたが、同時にこだわりが強く、チームプレーに馴染めないところがありました。そのことで彼を叱咤したこともあります」
 精神的にも追い込まれていた彼には久坂の愛の鞭は必要以上に堪えただろう。
「ある日から、彼は会社に来なくなり、プロジェクトの一切を放棄しました。私は開発責任者として、彼の仲間として、彼に伝えました。無理せず休んでほしい、と。彼は元気づけられたようでした。ご心配をおかけして申し訳ありません。もう大丈夫ですから、と彼は笑顔でそう言ったんです」
 久坂はその言葉を素直に信じた。三谷が自宅で首を吊ったのはその翌日のことだった。
「そのときからです。私が小説を読めなくなったのは」
 ――単一の意味しかもたない不寛容さが罪に思えてくるんです。
 部下の真意を汲み取れなかった久坂は、言葉に過度に慎重になった。新聞や看板のような、一義的な意味をもつ文字は読める。けれども、小説はちがう。幾重にも意味の可能性を含んだ物語を、久坂は気軽に読むことができなくなったのだ。
「前に聞きましたよね。どうして普通の生活に戻らないのかと」
 あのときははぐらかされたが、今ならその真意が分かる気がする。論理の外とはつまるところ――
「あなたは言葉から逃げたかったんですね」
 久坂は柔らかな笑顔を返した。
「なかなかうまくいきませんね。俗世から離れたつもりでも、こうしてお世話になった人のためにできることは、キーボードを叩くくらいしかない。こうしてあなたと話すときも怖いですよ。一言一言、針の穴に糸を通すような作業です」
「孤独を感じるときはありますか」
「妻と息子を嫌いになったわけではありません」
 そこまで言うと、久坂はパソコンの前に座り直した。これ以上、話すことはないとサインだろう。ぼくは静かに久坂の背中を見守った。
 作業が完了した頃、日はどっぷりと暮れて、秩父の山を夜の帳が覆っていた。帰り際、篠原は麻袋と薪一束を手渡した。中身を取り出すと、マッチ、ビニール袋、絆創膏、砥石などの日用品だった。どうやら生活に必要な最低限のものはこうやって人家に下りてきて調達しているらしい。篠原に礼を言い、ぼくらは細い山道を進んでいく。公道から逸れると、外灯は途絶え、月の光だけが頼りになった。しばらく歩いていると、先を行く久坂がやにわに立ち止まった。
「どうしたんですか」
「方向を間違えてしまいました」
 どうやら道に迷ったらしい。夜にキャンプ場までの道を歩いたことはないらしい。ただでさえ、幾重に分岐する山道を進んできたのだ。視界が悪い夜間には慣れた人間でも迷うことはあるだろう。ポケットからスマートフォンを取り出したが、画面は黒いままだ。どうやら昨日の充電が底をついて、バッテリーが切れたらしい。文明の利器もいまや路傍の石ころ同然だった。一帯は明かり一つない。久坂は空を見上げていた。無闇に動けば遭難しかねない。どうしようかと逡巡しているぼくの腕をつかんだ。久坂は言った。
「北極星を辿りましょう」
 秩父の山奥では二等星は十分に輝いてみえた。柄杓の形をした北斗七星とWの形をしたカシオペア座を結んだ先にある一点に向けて、ぼくたちは歩き続ける。世界が黒い暗幕でその向こうに太陽があるとすれば、北極星はさながら暗幕を支える軸の中心点であり、秩父の木々を吸い込まんとする消失点だった。人類に北極星があってよかったと思う。変わらずそこにある一点のおかげで、ぼくたちは空が回っていることを知る。北極星がなければ、空は日々不安定に様相を変える得体のしれない万華鏡のようなものだ。そこから生まれる雨や風や雷に、ぼくたちが必要以上に怯えずにすむのは、北極星のおかげかもしれないなどと、関係のない思考を巡らせながら、ぼくは久坂の背中を追って森のなかを進んだ。枝葉の隙間から差し込む月光を頼りに、ぼくらはゆるやかな傾斜を進む。やがて、地面が次第に固くなり、砂利がまじるようになると、靴の底がアスファルトに触れて公道に出た。
「ここまで来れば何とかなりそうです」
 小屋に着いたのは十時を回った頃だった。今から山を下りると自宅に着くのは日をまたぐことになる。「今日は泊まっていきますか」という久坂の好意に甘え、ぼくは一晩を小屋で過ごすことにした。小屋のなかにあった薄い毛布を何枚か重ねて、床の柔らかい部分に敷いて簡易的な寝床を作ると、久坂は小屋の中で蝋燭の火を灯す。おもむろに「老人と海」を取り出すと、薄暗い明かりの下で開いた。
「読みましょうか」
「ええ、お願いします」
 ぼくは挟んでいたしおりを指で抜くと、咳払いを一つした。
 ――星は眠る。月と太陽も眠る。海だってときには眠るから、潮流も目立たない波静かな日があるのだ。
 山奥で燃える火を前にして読む本は、どこか不思議な落ち着きが与えてくれる。都会の喧騒から離れ、深い闇のなかでぽつねんと座っていると、人工光で昂った神経が静かになだめられるような感覚がある。
「どうして夜にしか本が読めないのか、考えたことがあるんです。たぶん夜が視界を狭めるからだと思います。目から入る情報を限定することで、可能性の海で溺れずにすむ。それに、孤独な夜は人を詩人にさせます」
 ぼくが最後に小説を読んだのはいつだろうか。社会人になってから。いや、もっと以前からだ。ぼくもまたこの目的のない文字の羅列をどう理解すればいいのか、逡巡していることを自覚した。
「夜も更けました。今日はこの辺りで終わりにしましょう」
 蝋燭の火を消すと小屋は完全な闇になった。足音だけが鮮明に聞こえ、やがてトタンを隔てた部屋の床板がきしみ、久坂が寝床に伏す音がした。

 撮影用のカメラマンを引き連れてやってきた鈴村はちょっとした芸能人のようだった。最初は鈴村の動画チャンネルへの出演を断った久坂だったが、鈴村は営業職で鍛えた持ち前の話術でうまく説得した。
「久坂さんの生活も気になりますが、何よりこの秩父の大自然の素晴らしさを視聴者に届けたいんです。ぜひ久坂さんの口から魅力を存分に語ってください」
 久坂の過去は伏せておき、あくまで元プログラマーが秩父の山の移住生活を語るという企画の趣旨だった。最近のキャンプブームに乗って再生数を稼ごうという魂胆なのだろう。鈴村にお願いされていたとおり、ぼくもそれらしい理由を述べることで、久坂をその気にさせるのに一役買った。
「田上さんのお願いであれば、分かりました。お世話になりましたから」
 顔出しをしないことを条件に、久坂は渋々依頼に応じた。撮影が始まると、鈴村は数段声のトーンを上げて陽気な口調で話し始める。久坂はいつも通りの落ち着いた声色で、秩父の自然環境について滔々と語っていた。河原のそばにはファンと思しき見物人も数人いた。鈴村のチャンネルは登録者数も多く、若者を中心にそれなりに人気らしい。
河原での撮影が終わると、久坂たちは猟銃を抱えて狩猟に出た。撮影は半日近く続いた。エンディングのシーンを撮り終えると、鈴村は「はい、カット!」と手を叩くと、慇懃な態度で久坂に礼を言った。
「いやあ、久坂さん。話上手くて撮れ高十分でした! さすがに鹿を捌くシーンは視聴者を選びますが、石灰岩や星の話はロマンチックでした。今度は夜の秩父に来てみたいです!」
 帰り際、鈴村はぼくに耳打ちした。
「サンキューな。おかげで再生回数爆上がり、間違いなしだわ」
 鈴村たちを乗せた軽自動車が山道を下っていくのを見送りながら、隣に立っている久坂に「どうでしたか?」と聞いた。久坂さんは肩を撫でおろし、「案外難しいですね」と笑った。
「今日は朗読はやめておきましょうか」
「どうしてです」
 毎週数ページを読み進めていたぼくらは、昨日でようやく前半を終えていた。ちょうど主人公が魚と命がけの綱引きをしている手に汗握る場面で、読み手であるぼくも続きが気になっていたところだ。久坂は鉛色の空を見上げていった。
「本が濡れてしまいますから」
久坂の予報は当たった。帰り道、秩父市内を走っているときに車のウインドウに雨粒が落ちた。
 鈴村のYouTubeチャンネルに新作動画がアップロードされたのは数日後のことだ。ぼくは目を疑った。題名は「秩父の仙人、衝撃の過去を暴露! パワハラプログラマーの末路」。それを見たとき、ぼくは今更ながら鈴村の思惑を察した。恐る恐る動画を再生する。
 動画は久坂への明らかな悪意で満ちていた。本名や会社名こそ伏せられていたが、出身地や入社後の評判、家族構成までが忖度なしに晒されていた。久坂が言葉を選んで語っていた地層の話、星の話、美しく荘厳な秩父の木々の話は、全てカットされていた。動画はうまく編集されていて、機械的に変声された久坂の言葉は、視聴者が期待していた「かつて部下を自殺に追いやったパワハラ上司」の人物像を作り出すために歪曲されていた。
「私は死ぬことは怖くないですし、こうして山奥で生きることに嬉しいとか辛いとか思ったことはありません」
テロップ:自殺したMさんのご両親が聞いたらどう思うよ?
 やがて、場面は猟場に移り、モザイク加工された鹿の死体が大写しになる。
テロップ:野蛮すぎ。やっぱり人殺しの血が騒ぐんですかね(笑)
 姑息な手だと思う。世間は久坂のような世捨て人の人生にはからずも興味を抱く。それがかつて大手企業でプログラマーをしていた人間なら尚のことだ。まさしく、ぼくがそうであったように。再生回数が全ての鈴村にとっては、久坂は恰好の餌食だっただろう。それが嘘で塗り固められた演出であっても視聴者を信じ込ませるには十分だった。それに、久坂のように相手が名誉棄損で訴えることをしないような相手を選んでいる点も悪質だった。吐き気を催して、動画を閉じる。
 とっさに鈴村に電話をかける。三回のコールのあとに鈴村の気だるげな声が聞こえた。
「おう、どうした」
 ぼくは前置きもなしに電話越しに怒鳴った。
「おい、話が違うだろ!」
「久坂さんの動画のことか」
 鈴村は平然としていた。
「俺は自分がやったことに後悔してないぜ。どんなに綺麗事並べても、あいつのせいでひとが死んだんだ。暴露系を気取るつもりはないが、正義の鉄槌だよ」
 だからといって、久坂を裁く権利はお前にはないはずだ。そう言いかけて止めた。
――まあ、俺も経験あるから分かるけど、理不尽にこき使われるのはつらいぜ
――そんなパワハラ野郎は罰を受けるべきだ。
 鈴村が会社を辞めた理由は、自分探しの旅に出るためだと言っていた。だが、別の理由があったのだとしたら。自らがパワハラを受けて義憤にかられて、暴露系の動画を発信したのだとしたら。邪推だろうか。ぼくは電話を切った。これ以上何も話したくはなかった。
薄紙に滲む墨のように、後悔の念がじわりと胸に広がる。ぼくが鈴村に久坂のことを話していなければ、こんなことにはならなかった。知人に騙されたという怒りよりも、この動画の視聴者は久坂をどう見るだろうと思うとやりきれない。久坂の一言が悪意に塗り固められて、ぼくの知る久坂とはまったく別の「悪人」として視聴者には映るだろう。何もする気が起きないまま、数時間が過ぎた。気を紛らわせるために、自分のために買っておいた「老人と海」を手にとったが、文字は目の上を滑るだけで、頭に入ってこない。
――少年の、アフリカの匂いを、華奢な黒いアジサシ、聖寵充ち満てる、ナイフで脳天を、トビウオ、擦り減った珊瑚岩の道。
 言葉は意味を伴うことなく、一人きりの部屋に虚しく浮かんだ。そのとき、初めて久坂の気持ちを知った。

 それから二週間、ぼくは秩父には行かなかった。久坂と会うのが怖かったのだ。久坂に会おうと思い立ったのは、関東地区に大雪が接近しているというニュースを観たからだった。雪が降れば戸外に出て食料を調達することは困難になる。久坂のことだ。ある程度の備えはあるだろうが、長引けばキャンプ場からの配給品もいずれ底もつくだろう。ぼくはありったけの食料や日用品を車に積んで秩父の山に向かった。
 かつてのトタン屋根の小屋は、すでに無人と化していた。数日前に降った小雪はまだ残っていたが、小屋の周りに人が歩き回った形跡もない。小屋の扉は虚しく開かれたままだった。キャンプ場の篠原も行方を知らされていないらしい。
二〇〇九年二月、久坂は姿を消した。

「ピジョン」はテスト段階に入った。社員数名が実際にアプリを使用し、日常の動作のなかで不便やバグがないかを確認していく。バグが見つかれば、原因を探り、一つ一つ潰していく。地道で根気のいる作業だ。リリース予定日までは二か月先で、開発チームの疲労も限界に達していた。ぼくは焦らず、着実に仕事を進めた。この過酷な毎日を乗り越えながら、幾度となく久坂のこと、あの秩父での日々のことを思った。湯気を立てる鹿の死体、血の流れる沢、孤独と死をまとう闇の中央で、ぼんやりと照らされた焚火。それを前にして響く朗読の声。それらのイメージを脳裏に浮かべると、焦りと不安はしんと静かになった。厳冬の山の風が火照った頭を冷ますように。
 ぼくは彼に読むはずだった最後の一文を思い出した。
――老人はライオンの夢を見ていた。
 久坂は今、どこで、どんな夢を見ているのだろうか。
 そこから更に二か月が過ぎた。社長と経営陣、報道陣の目の前で、テスト画面が起動され、大画面のスクリーンに「Hello, world!」の文字が浮かんだ。
 こんにちは! Hello! 你好! 
 世界中の言葉が、これまでにないスピードで、積み重なっていく。それは時を経て厚みを増し、やがて時代の地層になる。この光景を久坂に見せたいと思った。自分が開発したサービスがこうして誕生した瞬間に久坂も立ち会いたかったはずだ。きっと彼ならば、その言葉の一つ一つが緻密で、繊細に積み重ねられていくことを願うだろうとも思った。こうして「ピジョン」は産声を上げた。
 
 二〇二四年七月。夏の到来を告げる日差しを受けて、額の汗を拭った。夏の能登は思いのほか暑かった。海の向こうから吹く潮の香りのする風が、漁港に浮かぶ船を揺らしている。ぼくは能登の漁村を目指していた。
 鈴村の動画チャンネルは閉鎖された。久坂の件で味をしめた鈴村は、立て続けに暴露系の動画を投稿し、やがてとある一件で取材対象者に名誉棄損で訴訟を受けた。チャンネルは凍結され、久坂に関する動画もネット上から抹消された。それから一度、鈴村から電話があった。電話の向こうの鈴村は憔悴した様子だった。久坂の動画のことでぼくを騙したこと、深く反省していることを告げた。か細い声で「俺はどこで間違ったんだろうな」と呟いた鈴村に、ぼくは長く考えた末「大丈夫だ」とだけいった。その言葉の意味を決めるのは鈴村次第だ。
いなくなった久坂を探そうと決めた。動画が削除される前、チャンネルのコメント欄に興味深い情報を目にしていた。久坂と思しき人物が、信州の山奥に住んでいるという。ぼくは早速「ピジョン」のアカウントを使って、狩猟関係者を中心としたサークルに焦点を当てて、情報提供を呼び掛けた。リリースから数十年が経った「ピジョン」は今や日本を代表するSNSの一つに成長している。これだけのユーザーがいれば、久坂の所在を知っている人が見つかるかもしれない。それで見つからなければ諦めもつく。なかば賭けのように始めたことだったが、数日も経たないうちに反応があった。
「似た人知ってますよ!」
 情報提供者は長野県松本市の青年団で、地元の猟友会に所属する友人から、東京でプログラマーをやっていたという変わった猟師を紹介してもらったそうだ。男は「斎藤」と名乗っていた。個別にやりとりするなかで知りえた男の特徴から、その男が久坂である可能性は高いと思った。それから、人づてに話を聞いては、久坂の行方を追った。やがて、久坂は松本市から石川県能登の小さな漁村に居を移したことを聞かされた。
会ってどうするのかと聞かれても、肝心なところは何も決めていなかった。鈴村の件を謝罪するのも今更な感がある。ただ、「ピジョン」のことで感謝は伝えたいと思っていた。失踪してから一か月後に、開発チーム宛てに届いたUSBメモリとその中に格納されたコードレビュー。それがなければ「ピジョン」は無事にリリースされなかっただろうし、こうして能登の地に足を踏み入れることもなかったはずだ。
 漁港の端に堤防があった。両脇の岩礁には波が間歇的にぶつかって、白い泡を飛ばしている。堤防の先には釣り人がいた。クーラーボックスに腰掛けて、誰にも干渉されない場所でひとり釣り糸を垂らしている。わずかに残った頭髪は灰色で、日に焼けた肌には深い皺が刻まれていた。ぼくの気配に気づいた男が振り返る。提げたリュックから「老人と海」を取り出すと、その本がとても似合う目の前の男に差し出した。
「続き、読みましょうか」
(出典:新潮文庫「老人と海」ヘミングウェイ 高見浩訳)

共感する言葉の力を

葭谷隼人さん(30)

 奈良市出身で大学まで関西に住み、現在は都内で運輸会社の広報担当をしている。今年の5月ごろ、妻の実家に近い草加市に転居してきたばかりという。

 高校や大学時代、趣味でミステリー小説を書いていた。

 社会人になって創作を中断していたが、結婚を機に再び筆を取った。契機となったのは妻の妊娠だ。「出産は人間にとって最大のクリエイティビティな仕事。『僕も何か生み出したい』と火が付いた」

 受賞作の「層を読む」は「言葉」をテーマにした小説。言葉を巡る出来事から部下を死なせてしまい、小説を読むことができなくなってしまった男が登場する。秩父の山中で仙人のように暮らす男の元へ、主人公が「老人と海」を朗読するために通う。

 「現代はSNSの炎上などで、言葉の悪い部分が強調されている」と指摘する。「論破」という言葉に代表されるように、人を言い負かす〝強さ〟がもてはやされる。しかし、大事にしたいのは「人と共感する力」。言葉には「優しくて、いろいろな意味を包括している」面があるという。

 作品の舞台になった秩父のことは、都内に住んでいた時にキャンプで訪れた時のことを思い出し、狩猟については本で調べた。それまで心に蓄積していたものを一気に吐き出すように、1週間ほど書き上げた。受賞の知らせを聞いた時は「驚きました。『だまされているのかな』という気持ちも半分あった」と笑う。

 草加に移り住んで4か月。「ご縁をいただいた埼玉の文学や文化に貢献できるように、これからも書き続けたい」と話していた。

短歌部門正賞

細き首

黒沢梓(67)=くろさわ・あずさ=鴻巣市・筆名

曇天の白さに閉じ込められている光もれ来る昼餉ののちに

ひそやかに息放ちつつ藻の間(あい)をグリーンネオンテトラが光る

一冊の重き画集を取り出しぬ星を大きく描きしゴッホ

玄関のドアを静かに閉めており恋人をもたぬ娘(こ)の細き首

おやすみのキスもういいからと四歳のおみなご言いし遠き夜あり

入室をかすかに拒みいるごとく色とりどりのマニキュア並ぶ

ラディッシュの葉についていたのだろう水より掬えば青虫くねる

銀色の蛇口を磨く何万回聞いただろうか「ただいま」の声を

たちまちに三十代過ぐすんなりと鳥のようには巣立つことなく

先行きのことには触れずタブレットにそれぞれ好みのメニューを入れる

勤務日を娘(こ)はカレンダーに知るしおりライブに行く日も小さな文字で

さみしげに見えた気がした子の部屋にひとり遊びの影だけ残る

守ることまだあるだろうか耳ふさぎ子は雷を怖れていたり

爪の形似てはいないね夕映えの始まりはいつも淡き肌色

朝からの雨はすでに止んでおりアイロンかけておれば気づきぬ

婚姻をいつしかいなむということの 遠くつくつく法師は鳴けり

なだらかに血脈は絶えてゆくものと思いて水に餌(え)を落としたり

解かれたる秘密のごとし捩花の拡大写真に白き唇弁

つぎつぎと枝は落とされ伐採の手順通りに松は切られる

切り株になってしまえば初めからなかったように月に晒さる

親子の日常、積み重ね

黒沢梓さん(67)

 受賞作の「細き首」は、同居している独身で36歳の長女との日常を詠んでいる。娘に結婚を望む気持ちがある一方で、「今のままでもいい」とその生き方を認める母親の複雑な思い。そこに込められた自然体の愛情。「(作品は)ほぼ実話です」と話す。

 受賞作は娘が4歳だった時の思い出から、自立して生きる現在まで描いた20首。お気に入りの歌は「銀色の蛇口を磨く何万回聞いただろうか『ただいま』の声を」。積み重ねた日常は、そのまま母娘の歴史でもある。「いつの間にこんなに大きくなったんだなという感慨があります」

 幼い頃はおとなしくて少し甘えん坊だったという長女だが、今では母の大雑把のところを「しっかりして」と注意することもあると苦笑する。

 2回目の応募で正賞に輝いた。「娘との日常を詠んだ作品が評価されたのがうれしい」と話す。その長女の反応は「喜んでいるのか、いないのか。きっと恥ずかしいんだと思う」と笑う。賞金で「しばらく行っていないので、娘と旅行でも行こうかな」

 熊谷市生まれで、結婚後に夫の両親が住む鴻巣へ。短歌を詠み始めたのは2002年の春ごろから。友人の母から歌集をもらい、短歌に興味を持った。最初は友人の母に指導してもらっていたが、のちに短歌の結社に入った。結社でできた仲間数人ともメールで作品を送り合い、相互に批評して腕を磨いている。

 ふだんは散歩をしながら、日常の風景を歌にすることが多いという。「何歳になっても自分のことを掘り下げて、深みのある歌を詠んでいきたい」。

俳句部門正賞

手をつなぐ

福嶋すず菜(59)=ふくしま・すずな=上尾市・筆名

靴下の先余らせて春炬燵

ファスナーのきつちり縫へて鳥交る

上履きの名の丸文字のうららけし

花菜雨薬手帳の厚くなり

緑の夜タンカー沖に集まりぬ

ざくと縫ふスカートの裾麦の秋

呼ばれたるごとく大きく虹二重

山百合に膝撫でられて雨宿り

朝涼やバターナイフに映す鼻

爽やかにレシート出でぬセルフレジ

傷心やオクラの棘に刺されゐて

対岸に歌声あがる良夜かな

家系図を持たぬ家なり貝割菜

蓑虫を見つけ諍ひ止みにけり

かたくなや十一月のピアス穴

手袋を忘れたと言ひ手をつなぐ

寒林を一列で来る猫車

象の皺咳きながら見てをりぬ

雪もよひ電話撤去の告知板

卒業歌口ずさみをり保健室

生の証し季語に込め

福嶋すず菜さん(59)

 埼玉文学賞俳句部門への応募は今回が4度目の挑戦だった。「正賞受賞」の知らせに耳を疑ったという。過去3回は「なしのつぶて」で、毎年の受賞作は熟読、それぞれよく覚えているという。

 水戸市出身で結婚を機に上尾市に居住。塾講師として7~8年間働いた後、現在は販売系のパート勤務に。仕事の合間に、俳句に加えて茶道もたしなんでいる。俳句を始めたのは約12年前、娘が大学生になったタイミングで何か始めようと思い、新聞に掲載されていた若手俳人・堀本裕樹さんの句会に行ってみたのがきっかけ。後日、同氏が俳句結社を立ち上げることになり、参加した。立ち上げのタイミングからすんなり入れたのは「ご縁があったと思っています」とほほ笑む。

 新しい結社には気鋭の俳人が多く、句会などに参加すること自体が刺激的で楽しかった。さらにもう一歩、俳句と真剣に向き合うようになったのはコロナ禍のとき。外に出られない、仲間と研さんできない日々の中で、句集を読み、文法を勉強しながら、こつこつと応募を始めていった。

 今回の応募作は「若い女性を作中主体(主人公)とし、平明な言葉で〈ただごと俳句〉を詠むことを目指した」という。若い女性の視点にしたのは、塾講師時代にさまざまな子どもと接したことが糧になっているという。それらのイメージを紡いだ。

 「その時のさまざまな思いが季語に託されている。俳句は自分の生きている証しだと思っています」。穏やかな口調だが、しっかりとした言葉でそう語った。

詩部門準賞

おいでおいで

渡会三男(74)=わたらい・みつお=千葉県柏市・筆名

深夜、階下から母の声。
「耳の汚い男は嫌い」
あちらでも父の頭を膝に置いて、
耳掃除をしているのだろう。

声の出所は仏間の箪笥に違いなかった。
武甲山を望む故郷の我が家では、
子供が生まれると桐の苗を植えた。
この世を去る時の棺用に。
「あの木で││」と母は懇願したが、
製材が間に合わなかった。
今、その木を箪笥に加工、
母の遺品を保管している。

聞こえないものが聞こえ、
見えないものが見える私に、
母が囁く。
「おいでおいで、誰も帰りたがらない、いい所だよ」
山肌に露出した石灰岩のような顔で。

詩に描く母への思い

渡会三男さん(74)

 気性の激しい母親と過ごした日々や青春期の思い出。自分を形作った人生のエッセンスを、物語性豊かに紡いだ。

 愛知県田原市出身。渥美半島の先端に位置する伊良湖岬で育ち、夏は毎日のように海で泳ぐ少年だった。両親に反抗し、郷里を飛び出すように都内の立教大文学部に入学。柏市内の中学校教諭を65歳で退職し、高校生の時「ハマった」詩作に再び取り組んだ。

 受賞作「おいでおいで」は、彼岸に逝った母親の「耳の汚い男は嫌い」の声で始まり、死後の世界をより身近に感じるようになった心情を表現。今年春、69歳で義理の弟が亡くなったことが創作のきっかけだという。「60代後半で次々と仲間が亡くなり悲しかった。今ではもう両親含め、あちら側の知り合い
が多くなり、怖い気持ちが薄れた」

 作品冒頭のせりふは、母親が自身や父親の頭を膝に乗せて耳掃除をする際、よく言った言葉だ。自然恋しさで、大学時代によく訪れた秩父を舞台にし、一気に書き上げた。「受賞は本当にうれしい。何よりも親孝行、供養になったのかなと思う」とほほ笑んだ。

花みずき

四宮明美(80)=しのみや・あけみ=所沢市・筆名

二階まで伸びた花みずきが揺れている
初孫の誕生記念にと娘と植えた
 娘が逝って7年目の夏
孫娘は17才
母親似のほっそりした肢体
黒い流行りのファッションで
自転車を飛ばしてバイトに急ぐ
次女はゲームに夢中の15才

原宿の
「マクドナルド」でコーヒーを頼む
にこりともしない孫娘は
「300円です」とレジを打つ
お釣りを受け取る

生きていれば生きていたらと
娘を苦しめるのはもう辞めよう
私の代わりがいるじゃないと
天国の娘は
きっと
わたしを諭すだろうから

娘失う悲しみ越えて

四宮明美さん(80)

 波瀾(はらん)万丈の人生を送る女性だ。所沢市民には、30年以上市議を務めた平井明美さん、といった方が分かるだろう。10代の時に、「台所詩人」と呼ばれた高田敏子に師事。東京芸術座に入団し、舞台俳優やナレーターとして活躍。2人の子どもを育てる中、共産党から市議選に立候補し、9期務めた。2023年に引退するも、先の衆院選に出馬し落選。「いろんなことやってるでしょ」と笑う。

 受賞作のテーマは、子ども2人を残し、44歳の若さで亡くなった長女・真帆さん。才媛で心優しい自慢の娘で、仏壇に手を合わせるたびに「真帆ちゃんがいれば」と涙ぐむ日々。亡くなってから7年がたつ頃に「このままではいけない」と思えるようになり、心境を詩につづった。「生きていれば生きていたらと/娘を苦しめるのはもう辞めよう」。深い悲しみから立ち直ろうする姿が心に響く。

 四宮さんにとって詩を書くのは自分を見つめ直す大切な時間。「私の気持ちを、詩で共感してもらえたのが人生で一番うれしい。受賞を機にもっと詩作に励みたい」と話した。

佳作

小説部門

浦和の龍虎

四ノ宮青(28)=さいたま市浦和区・筆名

詩部門

もう一つの落ち葉焚き

井上朝之(79)=熊谷市・筆名

気泡

沢村俊輔(66)=川口市・筆名

うなぎのダンス

夢佳苗(29)=さいたま市南区・筆名

短歌部門

知らない町のバス停

大野博司(49)=春日部市

きのうよりやさしく

紡ちさと(42)=富士見市・筆名

白黒チェック

山口巧太郎(24)=蕨市

俳句部門

縄電車

木村隆夫(74)=さいたま市大宮区

若杉朋哉(49)=さいたま市浦和区

水の惑星

川本利範(74)=川口市

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